2008年04月26日

幼年期の終わり(クラーク)

先日アーサー・C・クラーク氏が亡くなったことを受けて、書店ではクラークの本を平積みにしているところが多いです。

代表作の1つにあげられる「幼年期の終わり」。
小学生の頃にハヤカワで読んだ覚えはありますが、実はあまり覚えていませんでした。
「新版」という本を手に取ってみると、何か長編ぽいのです。ずっと短編だったと思っていましたが、実際はそこは第1章だったようで。
地球に宇宙船が突如現れ、その後長年にわたって交渉役を務めた地球人の代表が最後にその宇宙人の姿を見ようとすると見えた姿は…というあたりは鮮明に覚えていましたが、そこまでの短編だったと思ってました。
思い込みというのは激しいもので、「新版」を眺めながら「いや、あれは確かに短編だった、あの衝撃的なラスト(宇宙人の姿とそれが地球人に及ぼしていた「記憶」の意味)で終わっていたはず」と、これはその後長編化したに違いない、と思いましたよ。

で、読み直してみると。
ああ、こんな面白い話だったんだ、とびっくりしました。
同時に小学生の時の自分にはこの面白さは分からなかったんだろうなということも良く分かる話でした。(読み出してみると後編のシーンもところどころ覚えていたので小学生当時も一応読み通してはいたようです)

人類がまさに宇宙へと出て行こうとするその瞬間、地球を訪れた巨大な宇宙船軍団。
彼らは地球を平和にし、人類に豊かな暮らしを享受させる。
その彼らの真の目的は。

ホモ・サピエンスが滅亡していくくだり、その子供達が進化していく過程、そして最後の人類が地球消滅の瞬間を伝えようとする場面…。
ぞくぞくして読みやめられませんでした。
舞台設定としてSFを使っているだけで描かれているのは変わらぬ人間の営み、というカテゴリのSFではなく(そういうのも好きですが)、SFらしい壮大なアイデアを描ききった、まさに名作SFと言われるのが分かる作品です。

ただ、宇宙人を現す言葉として使われている「オーヴァーロード」って何だよ、とちょっとひっかかりました。
loadではなくlordだろうと分かれば問題ないですけど、カタカナでその区別はつきませんからねえ。overloadじゃ過負荷だよ。
これは昔の訳の「上帝」の方が日本語の語感としてしっくり来ると思います。
posted by ひかり at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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